私は、敏感で繊細です。
私は、以前の記事で「繊細な人が鈍感になるのは不可能」「ネガティブな人がポジティブになるのは不可能」と言ってきました。
今でも、生得的に敏感な人が、心の底から鈍感になることは不可能であると思います。
しかし、鈍感を「方法」としてとらえ、鈍感な人がどう振る舞っているかを学び、技術として身につけることは可能かもしれない。
と、何冊かの本を読んで思いました。
今日は、本とともに鈍感の技術を紹介します。
鈍感の利点
まず、鈍感であると何が良いのか。というところですが
1つ目は鈍感な人の方が健康であるという事です。
「鈍感力」にこのような記述がありました。
みなさんもお気づきかと思いますが、だいたい、年齢をとっても元気な人は、ほとんど他人の話はききません。(中略)自己中というか、ナルシスティックです。
元気な人は、ほとんど他人の話は聞きませんw
たしかに。
人の話を聞かないやつほど健康に長生き・・・
皮肉ですね。
鈍感力をもった人の自律神経は、異様な刺戟に見舞われることもなく いつも血管を開いて、さらさらと全身に血を流すように働いているのです。
敏感で、些細な事が気になって、ネガティブなときは、とても体調が良いとは思えません。
敏感はリラックスとは対極にあります。
敏感な人は、私の経験上、胃がキリキリして、頭痛がして、胸が締め付けられ、頭に血が登って、クラクラします。
鈍感な人の方が健康である。というのは間違いなさそうです・・・
さらにもう1つ、鈍感の利点は「成功するために必要」という事です。
それぞれの世界で、それなりの成功をおさめた人々は、才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での鈍感力を秘めている
渡辺淳一『鈍感力』
敏感すぎる人は、打たれ弱い。打たれ弱い人は成功しない。
どんな事をしても、必ず誰かが批判するものです。
ファンを獲得しようとするとアンチが必ずいる。
コチラの本もオススメです。
これを読むと、やはり、鈍感な人(気にしない人)が成功の秘訣なのだと思います。
私の尊敬する、中島義道さんもこう書いています。
人類は粗野な人種と繊細な人種という二種類の人種から成り立っている。そして、粗野な人種は人生でいつも勝ちどきをあげる。繊細な人種はいつも負ける。負けて負けて負けつづける。これは、もう人類の歴史始まって以来の不動の法則だ。
中島義道『カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)』
やはり、勝つのは、粗野な人なんだ。
ここまで言い切られたら、逆に気持ちが良いです。
繊細な人は、負けて負けて負けつづける。
そんな、薄々思っていた事をズバッと言ってもらえると、逆に心が軽くなります。
返答の技術
「鈍感力」にこのようなエピソードがありました。
この先生が教授に叱られるたびに独特の返事をすることに気が付きました。(中略)必ず、「はいはい」「はいはい」と、軽く「はい」を二度繰り返すのです。
教授がなにをいっても、この返事は見事に変わらない(後略)
この方は、医者の方なのだそうですが、手術中に小言で怒られても、「はいはい」と必ず言う。というエピソードです。
スルースキルが半端ない。
このように、何か、怒られたときの、自分の行動を規定しておくというのは、怒られたときに繊細になりすぎないために有効かもしれません。
次はコチラの本から
断り方のレパートリーを増やす
(中略)
彼女の生活を変えたのは、「予定を確認して折り返します」という言葉だった。
私は前の記事でこう書きました。
私は、「予定あいてる?」と言われると、とっさに「あいてます。」と答えてしまう。
その、とっさに言う言葉を「予定を確認して折り返します」と変えるだけで、断れる可能性が飛躍的に高まる。
繊細で敏感だから、飲み会を断れない、鈍感だから飲み会を断れる。のではなく、「予定を確認して折り返します」という言葉、即ち技術を得ることで断れるかもしれない。
これは、非常に心強い。
私は鈍感にはなれないが、すぐに返事言わないという技術を持つことはできる。
中島義道著『カインー自分の「弱さ」に悩むきみへ』
「なら、昔はそんなに弱かったのに、どうしてそんなに強くなったんですか?」と問いかけられるときもある。(中略)
ぼくは突如として強くなったわけではない。(中略)三十年間たゆまず修行してきたと言っていいだろう。
ぼくの何気ないしぐさや語り口のうちに「努力のなまなましい跡」が見てとれるはずである。
先程も紹介しましたが、この本「カイン」は弱くて繊細な、哲学少年が、強靭な哲学教授になるまでの話です。
私は中島義道さんのファンですが、最初に読んだ本がこの本でした。
この本に出会った時、私は自分が繊細で、弱くて、真面目で、正直であることを悩んでいました。
この本から、非常に勇気を貰ったのを今でも、覚えています。
「自分の「弱さ」に悩むきみへ」・・・私のための本だった。
怒る技術を体得する。
(中略)ぼくは怒らなければ生きていけないということを自然に悟った。(中略)真実の怒りであろうと演技の怒りであろうと、そんなことはどうでもいい。
中島義道『カインー自分の「弱さ」に悩むきみへ』
怒るときは、演技の怒りでも良いんだ。
怒りは、自分が何かを承認していない事を表すために必要なのだと書いてありました。
中身が繊細とか、鈍感とかは関係なく、怒る事は技術として必要なのだという事がわかる。
怒る技術に関してはコチラの本でより詳しく語っておられます。
もう、題名がわかりやすいw
目次の最初の3つはコチラ。
1 怒りを感ずる技術
2 怒りを育てる技術
3 怒りを表現する技術
(後略)
世の中には「怒る側の人間」と「怒られる側の人間」がいます。
繊細で敏感な人は、ほぼ怒られる側です。
私は、今までの人生で、正しい側が怒られ、間違っている側が怒っている、という意味のわからない現場も数多く見ました。
しかし「どちらが正しいか」よりも「どちらが怒っているか」によって、正しさが捻じ曲げられることもある。
怒っている人が正しいみたいになるのが、私は嫌いだ。
だから、怒ろう。
やられっぱなしはうんざりだ。怒る技術を学ぼう。
人に「迷惑をかける」訓練をする。
(中略)信じられないだろうが、ひとを責めることを学びはじめたのは、(中略)三三歳で単身ウィーンに飛んでからのことなんだ
(中略)自分を責めてばかりいては、生きてはいけない。死んでしまう。
中島義道『カインー自分の「弱さ」に悩むきみへ』
これを読むと「人に迷惑をかける」というのも、技術であると感じる。
さらに人を責める事を「学ば」なければいけないと書いてある。
自責ではなく、他責であるという事は、性格上の問題ばかりではなく、学ぶことなのかもしれない。
さらには、繊細な人は「他人を傷つける事を怠っている」という言葉もあった。
自責ばかりしている人は、怠慢なのだ。
生まれつき繊細で、心の底から自己中になれない私達は、一生懸命努力して他責に務めなければならない。
まとめ
繊細、敏感な考え方や感じ方は、なかなか変えられないけれど、自分がどう動くか、何を言うか。はコントロールできる。
繊細な人は鈍感にはなれないが、繊細な自分を守る技術を持つことはできるかもしれない。
それが私達、繊細な人が持つべき、鈍感力なのではないかと思う。
今回紹介した本です。
どれも「鈍感を技術として体得する」足がかりを示してくれると思います。
興味がありましたら、是非読んでみてください。
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