※ この記事はゲロと私の人生のアナロジーであり、汚い内容となっております。ご注意ください。
くだんの飲み会の件です。
私は、飲んで、食って、飲んで、食って
そして、吐いた。
食べ過ぎ、飲み過ぎ、もあるが、1番の原因は、おれの人生だと思う。
うだつが上がらず、どうしていいか分からず、自分がどうしたいかもわからず、他人の顔色を伺い、他人の思惑の中で生きている。
未来には、安定したつまらない人生と、スリリングな綱渡り人生の2択があり、どちらも選びきれない私がいる。
いや、本当は、綱を渡って行きたいのだが、勇気がないため、それと人目を気にしているため、1歩踏み出せず。
どちらの道も歩めないまま、時間だけがすぎていく。
こんな記事を書いている割には、自分が決断できずにいる。
結局、この記事は私自身に向けた記事だった。
自分の心の声に従う勇気を持てよ。という、自分への戒めとして書いている側面もあった。
自分の歩む道もわからず、付き合いの飲み会も断れず、一生懸命、愛想笑いをしてしまう。
そんな、自分が嫌いだ。
そんな気持ちを忘れるため、食って、飲んで、食って、飲んだ。
そりゃー気分も悪くなる。
私はトイレにこもっていた。
何年ぶりに吐いたろう。
最後に吐いたのは、もしかしたら大学生の時だったかもしれない。
もう、6年前の話だ。
というのも、私は吐くのが苦手だ。
吐きそうになっても、吐く瞬間の気持ち悪さを嫌悪して我慢する。
吐けば楽になるのはわかってる。
頭では分かっているが、一瞬の勇気が出ずに、スッキリできないのだ。
我慢して、なんとか飲み込み、胸の中で、悪いものがぐるぐる渦巻いている状態で帰宅する。
そして、ベッドの上で、アルコール筋症に悶え苦しみ、朝を迎える。
それが今までの私だった。
まるで、バンジージャンプが飛べない人に似ている。
私は、飛んだことはないが
飛ぶ前が一番怖いし、一番辛いだろう。
勇気を出して飛び降りてしまえば、スッキリするだろう。
怖気づいて、飛ばずにいると、余計に恐怖とモヤモヤが募る。
一瞬の勇気で、全てがスッキリ上手くいくのに、踏み切れない、臆病者。
しかし、昨日はいつもの怖気づく私とは違った。
トイレの中で、立てないほど私は酔っていた。
選択肢がなかった……
これは、吐かなければ、トイレから出れない。
・・・
ずっと躊躇っていたが、勇気を出す。
勇気というか、選択肢がないのだから仕方がない。
震えながら、指をのどにつっこむ。
オエーーー
胃液が少し出る。
しかし、全然気持ちよくならない。
私は、吐くのが苦手だった。
しかし、もう後戻りはできなかった。
1度吐きかけたものは、しっかり吐ききらなければ、どうにもならない。
この吐きかけたのを飲み込むくらいなら、死んだ方がいい。
そう思うほど気持ち悪かった。
2度目で、私は全てを吐き出した。
滝のようだった。
その後の気持ち良さは、名状しがたい。
朝までぐっすりと眠った。
私の人生とゲロのメタファー
私の現在の人生の状況は、吐きたいけど、吐きたくないあの時と、全く同じである。
安定したつまらない人生は、吐くのを我慢して、飲み込んで、ベッドの上で悶え苦しむ私のようだ。
全て吐き出す人生は、きっと、人生が脱線して、道無き道を転がり落ちていく、私の人生だ。
どちらがスッキリしているかはわかり切ってる。
なのに、私は吐くのが苦手で我慢している。
1度、人生のレールから脱線してしまえば、あとはスッキリして、転がるだけだ。
だが、脱線する前は、脱線する恐怖にとらわれている。
人生、ギリギリの状態でレールの上を走り続けるより
しっかり脱線してしまった方が、どれほどスッキリするか。
頭ではわかっている。
だが、私は、その時の一瞬の不快感を恐れているのだ。
いつか、指を突っ込まなければならない。
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