友人を傷付けた自己嫌悪から抜け出せない

哲学・考え方
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私は、私の性格ゆえ、何度も、人間関係が壊れて来ました。*1

 

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喧嘩だったり、誰かを傷付けてしまったり、誰かに傷付けられたり。数え切れないほどあります。

生きていれば誰でも経験あるかと思います。

 

喧嘩とか、いざこざが起きたりして、人間関係がぶっ壊れた時、

 

「おれは悪くないわ!」と思って、そのまま諦めてしまった事もあれば、

「おれが悪かったよな・・・」と思い直して、謝って、関係の修復を試みた事もあります。

 

もちろん、関係修復を諦めた関係は、壊れたままです。

 

そして、今回この記事で特に言いたいのは

私が悪かった時、誠心誠意謝ったとして、そして、許されたとしても、なかなか元のような関係には戻れないよ・・・という事です。

 

雨降って地固まるというパターンもあるのかもしれません。

喧嘩をまたいで、更に仲良くなった。みたいな。

しかし、私はそんな経験はありません。

 

私はある友人Aに「てめぇぶっ殺すぞ」と言ってしまったことがあります。

ひどいですね。ヤバイですね。書いていても自分ヤバイな。と思い出します。

 

私は謝りました。

友人Aは気にしていないようでした。私を許しました。

しかし、私の中の「彼に悪いことをしてしまった」という自己嫌悪のわだかまりは消えずに残っています。

 

彼が、全然気にしていなくても、彼が私を許してくれても、私が、以前のように戻れなくなってしまったのです。

 

もし、彼が心の底から許していても、借りのような物が出来てしまっているように感じます。

許された側(私)は「前に悪いことしたしな・・・」と負い目を感じて、以前のように付き合う事が出来ません。

 

というか、心のわだかまり的には、許した側よりも、許された側の方が、特に負い目を感じていると、私は思います。

 

細かい事を気にしてしまう私だからでしょうか。

 

私は、どちらかというと、自分が傷付けられた事は許す事が出来ます。

相手が、本当に申し訳なかった。という気持ちを持っている事がわかれば

「いいよいいよ!おれは全然気にしてないよ」と言って許す事ができます。

 

しかし、自分が傷つける側になってしまうと、例え許されても、ギクシャクしてしまいます。

傷付けた事を忘れる事ができません。

申し訳なさを拭う事ができません。

 

「許す」よりも「許される」方が精神的にキツイです。

「許す側」は、ちょっと上から目線になってしまいます。

被害者ですからね。「いいよいいよ!全然気にしてないよ!」というのが既に上からです。

立場も自然と上のような気がしてしまいます。

 

「許される側」は立場が下になります。「ごめんなさい・・・」というのが既に下からです。

傷付けた人に頭が上がりません。

 

私に至っては「ぶっ殺すぞ!」っと言ってしまった事を、謝って、許してもらっても

ふとした時に

その人に会ってない時でも、思い出して自己嫌悪します。

「あんな事言ってしまった・・・おれは最低だ・・・」

「なぜあんな事を言ってしまったんだ・・・時を戻したい・・・申し訳ない・・・」

 

会って無くてもこの状況。

 

もし彼に会えば、私は罪悪感でいてもたってもいられません。

結局は彼を避けてしまう事になります。

 

本当は、彼は気にしていないわけだから、また仲良く出来る可能性があり、

そして、それは良い事なのかもしれません。

 

彼もそれを願っているかもしれないし、関係を修復した方が、ブログに書く内容としては美談なのかもしれない。

 

しかし、私にはできない!

 

私は彼を傷付けたという、自己嫌悪から抜け出すことができないんだ。

 

苦しい。

 

残念ながらこの記事には、自己嫌悪から抜け出す方法は書いてありません。

 

私自身わからないからです。

 

もし、抜け出すことができたら、ここに記述します。

 

もしかしたら、私は他人の目を気にしすぎている。というのが根っこにあるのかもしれません。

 

私は人目を気にせず生きていきたい。

だけど、うまくいかない。

 

参考にならないかもしれませんが、ありのままをここに書いておきます。

 

あーでも書いたらめっちゃスッキリしてきた。

もしからしたら、自己嫌悪から抜け出す方法は、包み隠さず、さらけ出して生きる事かもしれない。

 

*1:違和感をなぁなぁにできない・・・

www.kirinnox.com

 

 

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