私という存在を愛してくれる人

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私には以前書いたおばあさん

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他にもうひとりおばあさんがいる。

人類であれば、ほとんどの人におばあさんは2人いることであろう。

 

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ここは俗に言うおばあちゃんち。である。 

小さい頃からよく来ていて、今もよく来ている。

 
 

小さい頃ここに来ると、早く家に帰りたいと思っていたが、28歳になった今となっては居心地が良いので、くつろいでいる

 
 

私はおばあちゃんちに入る時「ただいま。」と言って入っていく。

おばあちゃんは「おかえり。」と言って嬉しそうに迎えてくれる。 

そして、このおばあさんは、孫(私)の事が好きである。

 
 

私はここに来るといつも孫である。

孫(28)というのも、なんか変な気分だ。

しかし、当たり前だが孫なのである。

 
 

小学生のときも、中学生、高校、大学、ニートの時、そして、現在

いつでも、私はおばあさんの孫である。

 
 

これがどれほど、ありがたい事なのか、私は最近まで考えていなかった。

当然のように愛を受けていて、それを、最近になってやっと「ありがたい」と感じるようになったのだ。

 
 

私が、何をしていても、変わらない。

いたずらしていても、障子をぶち破っても、ダダをこねても、「おばあちゃんちつまらないから家に帰りたい」と言っても、庭で花火をしてゴミを散らかしても、私が学校に行かなくても、私が変な子供でも、ロックンロールでとがっていても、大学を出て就職しないでニートしていても。

 

どんな時も変わらず接してくれる。

 
 

それが、当たり前だと思っていたが、そんなことはなかった。

普通はいたずらをすれば怒られるし、ダダをこねてもほっとかれ、「つまらないなら帰れ」と言われ、悪いことをすれば捕まり変なやつは変な目で見られ学校にいかなければ進学もできず、とがっていれば疎まれ就職しなければ生活できない。

 
 

それが本当の「当たり前」だったのだ。

小さい頃の私にはわからなかった。この「おばあちゃんちという世界」のほうが「特別」だったのだ。

私は、生き方がわからなくなったり、悩んだりしていたりするときに、この「特別な世界」にやってくる。

 
 

おばあちゃんは、何も解決してくれない。 

私を学校に行くように説得するわけでもなく生き方のアドバイスをしてくれるわけでもなく、悩みを解決してくれるわけでもない。

 
 

ただ、愛してくれたのだ。 

私の肩書や、顔や、貯金や、能力、職業、年齢、精神状態、そして、性格までも関係なく。愛してくれるのだ。

ただただ、ここに、ただいるだけの私を愛してくれるのだ。

 
 

私は、救われた気分になる。

ただ、私が生きているだけで、こんなにも喜んでくれる人がいるのだ。

ただ、私がここに存在しているだけで、こんなにも喜んでくれる人がいるのだ。

 
 

この「特別な世界」に来ると明日からもがんばって生きよう。そう思うことができる。

そして、私は「行ってきます。」といっていつもの世界へ戻っていく。

おばあちゃんは「行ってらっしゃい。」と言って見送ってくれる。

少し寂しそうにしているが。また、帰って来るから。

 
 
 

おそらく、まだ元気で生きている今しかこの文章は書けないであろうから記しておいた。

おそらく、涙で画面が見えなくなってしまうだろうから。

 

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