おれ、脳みそが弱ってる?
あ、あれ検索しよう。
検索窓を開く。
検索窓をタップして、
私は打ち込む
「なんだっけ?」
何検索しようとしたか忘れてる!
ボケか!?
でも、確かに最近、脳みそがボヤっとしている事が多くなった気がする。(28歳)
スマホのいじり過ぎでボケたか?
ふと思った。
スマホでの体験は本物の体験と言えるのだろうか。
この間、マチュ・ピチュについて嫁と話していた。
「行ってみたいけど、金かかるしなぁ、50万もかかるんだって!
しかも1週間かけて行って、マチュ・ピチュみて帰ってくるのかぁ。
今スマホで検索すれば、タダでマチュ・ピチュ行けるわw
めっちゃ画像綺麗だし。」
という話をしていました。
悪天候にも見舞われず、長い飛行機に乗ることもなく、バスに乗ることもなく、山を苦労して登ることもなく、マチュ・ピチュを見ることができる。
今後VR技術でさらにリアルに見れるようになるかもしれません。
もっと進化すれば、温度、匂い、風。そういったものがVRで体験できる可能性も出てくる。
そのVRは本物の体験と違うだろうか。
私が、旅行の準備をして、何時間も飛行機に乗って、バスに乗って、自分の足で山を登り、マチュ・ピチュにたどり着いてマチュ・ピチュを見たときと
VRで「マチュ・ピチュ」を体験するのは同じだろうか。
まぁとにかく、マチュ・ピチュをこの目で見るのと、ただの「画像」を見る違うのですが、画像で見て満足してしまう。
これが私の脳を、私の心を弱らせたんだろうか。
現代。
スマホやインターネットの普及で現実の体験は減ったと思う。
昔の子どもたちは、メンコとベーゴマで遊んだ。
私は、小さい頃、虫取り網でトンボを捕まえたり、サッカーボールを庭で蹴ったり、家の屋根に登ったり、公園で缶蹴りしたりして遊んだ。
サッカーボールが隣家に入ってしまって、忍び込んで取りに行ったこともあった。
家の屋根から落っこちたこともあった。
あの時の痛みは、強烈だった。
立てないほどの痛み。
あの痛みはまさに現実。リアルだった。
脳みそはめちゃくちゃ活性化していたと思う。
私の心にも、痛みという衝撃を与えた。
しかし、最近の私の体験はスマホによって変わった。
サッカーボールを蹴るのもスマホの中。トンボを捕まえるのもスマホの中。
屋根に登るのもスマホの中。そして、屋根から落ちるのもスマホの中だ。
私の脳はこんな事してて大丈夫か?
サッカーボールを蹴るのと、スマホの中でサッカーボール蹴るのは違う。
トンボを捕まえるのと、スマホの中でトンボを捕まえるのと違う。
屋根に登るのは、スマホの中で屋根に登るのと違う。
屋根から落ちるのは、スマホの中で屋根から落ちるのと違う。
スマホの中じゃ、落っこちたって痛くない。
刺されたって、撃たれたって痛くない。
そんなの本当の体験と言えるだろうか。
本物の体験が減り、私の脳みそは弱っていってしまうかもしれない。
そして、心も鈍感になっていくような気がする。
スマホを捨てて外に出よう。
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