植物は美しい。
私は、植物を眺めるのが非常に好きだ。
私が感じる植物の美しさは、その、緑の葉だけでなく、その、幹の構造、花や、根っこに至るまで、生命の強さに溢れ、見る私を非常に心地よくさせてくれる。
植物の緑が美しいという事象には、3つの側面がある。
- 植物が緑の光(550nmの波)を反射しているという事。
- 人が550nmを感知して緑のクオリアを感じているという事。
- 人が緑のクオリアを美しいと感じているという事。
この①の疑問に関しては、いろいろなサイトが考察、解説しているし、私は生物学の専門家ではないので、割愛したい。
端的に説明すると、植物の光合成色素が緑の光をあまり使っていない。緑の光のみが吸収されず反射されるので、それが目に入り、人は植物を緑と認識する。
というわけだ。
その事は今は、どうでもいい。
私が今日、特に言いたいのは③の「なぜ人間は緑を美しいと思うのか。」についての考察だ。
人間にとって美しい醜いというのは、もちろん「好ましい」「好ましくないか」という感覚である。
私が考える「人間が植物を美しいと感じる」理由は2つだ。
1つ目。緑色の物は食えるから。
人類は植物を食べている。
もし、人類が緑色に嫌悪感を抱いていたらどうなるだろうか・・・
植物を食べれない。
これでは生存に非常に不利だ。長い進化の過程で、生存に不利な個体は淘汰されるのが常である。
その考え方で「緑に特に何も感じない人類」と「緑を美しいと感じる人類」を比べると、食料確保の観点から、後者の人類がより生き残りやすい。
よって「緑を美しいと感じる人類」が残り、現代の人類は「緑を美しいと感じる」人が多いのではないか。と私は考えた。
人間が食べることができる若くて新鮮な植物に近づかなければ生き残れない → 進化の過程で緑を美しいと思うようになった説
しかし、人間が美しいと感じるのは食べれるものばかりではない。
2つ目。植物の構造はエントロピーが低い。
植物の構造は、高度に秩序立っている。
追求された合理性、風で折れないためのしなやかな幹。光を集めるため、効率に特化した、フラクタル構造の枝。光合成をする為に太陽に向かって広げる葉。
そして、受粉を促すための花。花は目立つ。
目立って美しいと、昆虫がよってきて、花粉を運んでくれる。*1
その全ての合理性が人間にとって美しいと映るのだろうか。と考察した。
他にも私は、女性や、芸術作品などを美しいと思う
それらはエントロピーが低いのではないのだろうか。つまり、高度に秩序立っている。人間はおそらく、エントロピーが低いものを美しいと思うようにできているのだろう。
それもまた、人間が生き残るための脳の合理性なのかもしれない。人間は低エントロピーを食べる生き物だから。*2
植物が美しく見える理由のネットの記事を少し拝見したが、
何人もの人が「植物が黒でなくて良かった。森が味気なく(美しくなくなって)なってしまう。」と書いているが、私は見当違いであると感じる。
私の考えでは、もし、植物が黒であれば、人類は、黒を美しいと思うようになったはずだからだ。
真っ黒な森を見て「植物が緑でなくて本当によかったな。」などと言っていた可能性もあったのだ。
まとめ
- 緑は食えるから好意を抱くのでは?
- 人はエントロピーが低い物体が好き。
ん?
じゃがいもって食べられるけど、あんまり美しくない気がするなぁ・・・
この記事はなかったことにします。
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