あれは2012年。冬。1月3日だった。
私は、卒業まであと3ヶ月の大学4年生(22歳)で、就職も決まっておらず、卒論に追われ、理系の卒論と人生のキツさに辟易していた。
そんな、大学生活最後の冬休み。年末。12月28日。
私は、全てから逃げるように車で山梨の実家を飛び出し、下道を通って、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、兵庫、鳥取、島根、山口を通って、福岡まで行くという旅に出た。
荒んだ心の大学4年生の荒んだ旅の話は割愛します。(今度詳しく記事にしたいと思います。)
金がなかったから全部車中泊だった。
寝てて起きたら車が雪に埋まってて死ぬかと思ったときもあった。
そんな旅のクライマックスは、車が溝に落っこちるという最悪なものだった。
福井県
3日かけて、九州の福岡まで行き、3日かけて山口、島根、鳥取、兵庫、京都、福井。と戻ってきたところだった。
1月3日の福井県は雪だった。
私は、日本海側の、見たこともない雪の量にビビっていた。
私の住む山梨県はほとんど雪が降らない。
恐らく周りを山に囲まれているため、ガードされているんだろう。
台風などでも、大きな被害が出ることは少ないのだ。
私は独りで東尋坊を見た。
正月。
周りは全員、複数人連れの観光客で、旅の疲れでよれよれの私が、独りで東尋坊の岩の上に立っていると、まさに「思いつめている人」だった。
それでも、大学4年のときの私は、なんか吹っ切れていた。
死ぬ気は毛頭なかった。
未来は見えなかったが、22歳という若さもあったし、よくわからんエネルギーもあった。
今と同じで、どす黒い何かは、心の中に渦巻いていたが、現世を諦めるほど、悲観的でもなかった。
当時、今の嫁とは知り合ってはいたが、付き合ってはいなかった。
私が、彼女と付き合い出したのは、この旅の3週間後の1月25日だった。
夜、雪の深い田んぼ道
東尋坊を見て、日も暮れて夜になった。
今日もどこかで車中泊しなければならない。
あと、何日で山梨に帰ろうか・・・
日程も決めずに出てきたので、いつでも帰れるが、福井県から山梨まで、下道で帰ったら10時間くらいかかるだろう・・・
とにかく、車を泊めて寝れる場所、道の駅を探さなければ。
私は、辺りに何もない、田んぼ道を走っていた。
道幅は一車線で、雪は20cmほどつもり、いつからあるのかわからない「わだち」が、私の前に2本筋を描いていた。
私は、わたちをたどり、何分か走った。
道の駅はどこだ・・・疲れた。
旅は7日目になろうとしていた。
雪道だったので、比較的ゆっくり走っていた私は、わだちが3本ある事に気付いた。
3本のわだちは、ライトで照らした前方の雪に、くっきりと3本の黒い線を一点透視図法のように描いていた。
気付くと私は、3本あるわだちの右側の2本をなぞっていたのだ。
こりゃいかん、これでは、反対車線を逆走しているじゃないか。
私は、誰もいない田んぼ道のど真ん中で、律儀にもウインカーを出し、スーっと車線変更した。
その瞬間
ガガガガガガガガッッ
「うわーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
車は予想を裏切り、斜めになり、胴体着陸し、止まった。
3本あったわだちの、一番左は側溝だった・・・
私は、律儀にウインカーを出しながら、側溝にスッとハンドルを切って入って行ったのだった・・・
少しの間、放心状態だったが、
車を降りて状況を確認。
綺麗にタイヤがハマっている。
とても自力で脱出は無理そうだ。
※実際の写真
加入している自動車保険会社に電話する。
事情を説明し、ロードサービスが来てくれる事になった。
私は、斜めになった車の中に入って暖をとっていた。
人生が、詰みかけて、「もうダメだ。」と思って出た旅。
そして、その旅も、もうダメになりそうだった。
もうダメだ。
全てが不甲斐なくて、涙が出そうだった。
私の動けなくなった車は道を完全に塞いでいたが、1月3日の、夜の福井のたんぼ道など、誰も通りはしなかった。
今頃、みんな、実家でこたつに入って、テレビでも見てるか、寝てるかだ。
こんな事やっているのは、おれだけなんだよ・・・
遠くから明かりが近づいてくる。
ロードサービスのでかい車だ。
中から、ガタイの良い体育会系の兄ちゃんが降りてくる。
「ありゃーこれは、クレーンじゃないとダメかもしれんぞ、兄ちゃん、金持ってるかい。クレーン呼ぶには追加料金が必要なんだ。」
金はなかった。
八方塞がりの大学4年のおれは、財布の中にも、口座の中にも、金はなかった。
「一応やってみるがね、上がんなかったらクレーン呼ぶぞ」
そういって、兄ちゃんは私の車にロープをつないだ。
引っ張ってもらうと、少しずつ車は道に上がった。
「がはは、良かったなぁ!」
そう言ってくれた福井の体育会系のでかい手と握手をした。
私は、さっきとは違う涙が出そうだった。
車は問題なく走った。
その日は、道の駅で寝て、次の日、山梨に帰った。
実家のベッドは、足を思い切り伸ばす事ができ、私は7日ぶりに熟睡した。
私の人生で一番長い旅だった。
自分の中で、確かに、何かが変わったような気がするのだけれども、何が変わったのか、未だにわからない。
関連記事
コメント