昨日、東京に行ってきた。
すごい街だ、私は山梨の田舎に産まれ、山梨の田舎で育った。
山梨は車で10分行けば山があるし、青空は広く、まわりは山に囲まれている。(本当にどちらを向いても山があります)
外で、手を広げてぐるぐる回っても(ダブルラリアット)誰にもぶつからないどころか、誰に見られる事もない。
東京は、すごかった。人が多い、音が多い、うるさい、広告が多い、ビルが多い、店が多い、空が狭い、地面が全部アスファルト、自然が少ない。
私は、
人の目が気になった。
私はもともと、人目を気にする性格なのだが、もう、まず、人の目が物理的に多い。
東京で歩いていれば、人とすれ違い続ける。
目が一瞬合う人もいる。
東京にいれば、慣れているんだろうが、私は、あんな、世間の目には慣れていない。
昼でも夜でも人がいる。街を歩いている。駅にいる。電車に乗っている、店で飯を食べている。渋谷、原宿、新宿。
人目の数が尋常ではない。世間体という実態のない、見えないものが、山梨よりも巨大に感じる。(実際にどうかは知らない・・・東京の方が他人に無関心という話もあるしね)
電車で友人と話していても「この話、周りの人に絶対聞かれているよな・・・」としか考えられず、いつものように会話できない。
歩いていて、コケそうになったら、「今、見られただろうか」と考えてしまう。
東京に(私のように)人目を気にしやすい人が住んだら、最高に精神がすり減るだろうな・・・と思った。それとも、慣れてしまうんだろうか。
東京には、人生の雑音が多すぎる。
広告、他人、店、アミューズメント。
東京の街は、なんとなく歩いていても飽きない。
歩くと、いろんな物が目に飛び込んでくる。でかい広告。動く広告。客引き、チラシを配る人、電信柱に貼られたポスター、爆音で宣伝しながら走る宣伝カー。
上を見ても、下を見ても、右を見ても、左を見ても、人工物で満ちている。
物を買わせよう、楽しいよ、こっちにおいでよ、見てみなよ、面白いよ。
私の感覚を鈍らせる。
私の理想の世界観は静かだ。
MYSTのような世界観
田舎の別荘が私の理想
そんな、私が、東京に行くと。
東京に圧倒されて何も考えられなくなる。
「おれはなんのために生きているんだろう。」
「おれは何がしたいんだろう」
「おれ、何をしてるときが一番楽しいんだろう」
「おれが心から欲しいものはなんだろう」
「おれは、どうなりたいんだろう。」
「人生に於いて大切な事はなんだろうか。」
私は山梨で、いつも考えている。毎日、考えている。
しかし、東京に行った時、私の頭は、鈍った。
以前にも書いたが、人間は目に飛び込んでしまったものを、完全に考えないのは不可能だ。
広告が見えてしまった場合、その広告の内容について、少しの事も考えないというのは不可能だ。何かは考えてしまう。化粧品のCMが目の前で流れていれば、男のおれでも、それの事について考えてしまう。
では、その広告、店、過ぎゆく人々が、1秒に何百も目に入ってきてしまったら、私の頭はどうなってしまうだろう。
私の頭の中は、考えたくないものや、別に考えなくてもいいような、どうでも良いものに埋め尽くされる。
1つ1つの影響は少ないかもしれないが、100も見せられれば、頭の中は埋まってしまう。
これを回避するためには、目をつむって、耳を塞いで歩く必要がある。
でもそんな事は無理だ。
私が東京に行った感想は以上です。つまり言いたいことはこうです。
もし、私が、東京で生きていたら、私の頭の中は、視覚情報、聴覚情報を受け、考えたくない、別に考えなくてもいいような、どうでも良いものに埋め尽くされる。
これは、私にとっては、重要な問題だ。
私は、毎日、「自分は何を考えるべきか、何をすれば良いか、何をすれば楽しいのか、何が好きなのか、自分の考えたいものは何か」と真剣に考えているのに、
東京ではその努力も虚しく、一瞬で、私の大切な物が何かわからなくなりそうだ。
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