「困難は分割せよ。」というのはデカルトの言葉だ。
私は、この言葉を、井上ひさし作の「握手」の中で、ルロイ修道士が言っているのを読んだ。国語の教科書に載っていた。
そして、私が痛感し、日々唱えながら生きている言葉がある。
「困難は立ち向かう事で小さくすることができる。」
うん。おれが考えた。
「困難からは逃げずに立ち向かったほうが逆に楽」という事である。
案ずるより産むが易しと同じような意味かもしれない。
例えば、テストが近づいているとき、テストの事を考えて悶々としているより、テストの為に勉強をした方が、気持ち的にずいぶん楽である。
課題とかも、「ああ、あの課題やらないとな・・・」と思っているときの方が、実際に課題をやっているとき辛いような気がする。
何か困難があるとき、その事から逃げるより、何か立ち向かうような行為をやったほうが、気持ちも楽になるし、実際困難を乗り切る事もできるようになる。
私は、大学4年の時、もちろん研究をしていたのだが、一度研究室に行くのをサボった事がある。(教授はかなり、厳しい、怖い人だった)
1日サボったら、なんとなく、行きたくなくなって、1週間もサボってしまった。
大問題である。
「これは流石にやべぇ・・・教授に怒られる。」
私は悶々としていた。1日サボり、2日サボり・・・としているうちに、「研究室に行く」という行為と立ち向かわなくなり、逃げ始めた。
そして、3日サボり、4日サボり。と逃げ続けた。
そして、逃げれば逃げるほど、私の精神は追い詰められた。
「やべぇ、やべぇ、こんなにサボったら絶対怒られる・・・」
この時、逃げるのは実は、自分から問題を大きくする行為であった。
私は、腹を決めて、怒られる気持ちで研究室に出向いた。
困難に立ち向かったのだ。
怒られなかった。
教授「おう、どこ行ってた。研究再開するぞ。」
私は驚き過ぎて何も言えなかった。
逃げているとき、「研究室(教授)」という存在は、私にとって驚異だった。
しかし、いざ立ち向かってみたら、なんともなかったのだ。
この経験を持って、それ以来私は、「困難からは、逃げずに立ち向かっちゃったほうが楽だな。」と思うようにしている。
誰かと喧嘩したしても、逃げずに、謝ってみたり、自分の考えをぶつけてみたりするようになった。
「やる」「やらない」の選択肢があったときに、思い切ってやるようになった。
まとめ
「困難は立ち向かう事で小さくすることができる。」 by キリンノックス
検索しても出てこなかったので、確かに私が作った言葉のようだ。
逃げれば逃げるほど、困難は大きく、頑丈になっていく。
困難は、今すぐ倒すのが一番簡単だ。
逃げて、逃げて、時間を置けば置くほど、困難は強くなっていく。
強くなる前に倒してしまおう。意外とサクッっと倒せるかもしれない。
不安やストレスを緩和するためのもっとも良い方法はその原因に立ち向かう事である。その原因を解消するための具体的行動の一歩を踏み出す事である。
お読みいただきありがとうございました。
逃げたくない。逃げたい。いや、逃げたくない。私は逃げない。キリンノックスでした。
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