私は昔から、いろいろな事に、違和感、不快感を感じてきた。(今もだ)
私は敏感な人は生きにくい。鈍感な人は生きやすい。と感じている。
こんな本もあるくらいだ。
しかし、私は鈍感になることはできない。
生きていく上で、いろんな些細な事が気になって、いろんな些細な事に違和感を覚える。
気になってしまっている事を気にしないのは無理なのだ。
気になっている時点で、気になっている。
すでに気にしている時点で負けなのだ。
本当に気にしない人は「何を?」って感じなのだ。気になっていないのだ。
私のような人が、気になっている事を無理に気にしないようにしても、それは鈍感な人のフリをしているだけ。
敏感に生まれついてしまった私のような人は、敏感に生きるしか無いんだ・・・
でもしかし、違和感を感じる自分を抑え込まなくて良いんじゃない?というのが、今回の記事の趣旨です。
敏感な事には価値がある。と私は思っている。(というか価値がなかったらただ辛いだけだ・・・)
鈍感力がもてはやされているが、私は敏感力にも同じように価値があると思っている。
不快感を感じる人が、人生を改良をしていく。
違和感、不快感というのは、逆に言えば、現状に満足してないという事だ。
そして現状に満足しない人は、日々を改良していく可能性を持っていると思う。
例えばきっとシャーペンを作った人って、鉛筆に満足しなかった人だと思う。
シャーペン、自分でペン先回すのめんどくさいな、って思った人がペン先が回るシャーペンを開発した。
ボールペンが消せないことに不快感を持った人が消せるボールペンを作った。
違和感を感じて、こうだったら良いのに。と思うことが、画期的なアイディアを産む第一歩なのかもしれない。
そういうもんだからしょうがないという諦めや、そもそも、何にも違和感を感じない鈍感な人より、敏感な人の方が創造力が強いのではないかと思う。
最近私が感じた違和感
最近の私はというと、ひたすらブログを書いている。
楽しい。(まぁまだ、そんなに訪問者も来てないけど)
そんななかで、やっぱり、ブログについての情報収集をするのだが・・・
ブログの運営報告やPV報告、ブログ運営論のブログの「達成」に違和感を感じている。
別に文句があるわけではありません。(参考にさせていただいておりますし・・・・)
しかし、私の中の何かが、
「100記事達成!」
「1ヶ月で1万PV達成!」
「収益◯◯万円達成!」
このような言葉に違和感をバリバリ感じている。
「達成」という言葉が受け付けない。
なんだろう、これ。
理由がよくわからないですが、気持ち悪いんです・・・
なぜか、違和感を感じてしまう。
なぁなぁにしたくない。というのが今回の記事の趣旨ですので、今回は、「私の感じている違和感の具体例」という事でご紹介しておきます。
ブログで稼ぐ方法を書いているブログやオンラインサロン。
そして、それを真似して、ブログで稼ぐ方法を売って儲けてる人。
それをみて、同じようにブログの書き方を売っている人がいる。
ブログで稼ぐ方法というのが連鎖している。
すごく、違和感を感じる。
別にそれが悪いわけではないし、文句があるわけではない。
資本主義なんて、お金を稼いでなんぼだし。
私もいつかは収益は欲しい。
でもなぜか違和感を感じちゃう・・・
原因はわからないのですが、他にも日常生活で違和感がごまんとあります。
学校生活で言えば ↓ これに違和感、嫌悪感を感じていました。
違和感を受け入れられず破局した過去
違和感を受け入れたくない。
間違っている事をなぁなぁにして、気づかなかった事にすることができない。
親しい人に、違和感を感じたらつい言ってしまう。
親しい人だからこそ、違和感、不快感を感じたら放って置く事はできない。
以前の彼女。つまり元カノだが、K子としておく。
よく愚痴ってくる彼女だった。
K子「◯◯◯が嫌なんだけど・・・」
愚痴られるたびに、私は違和感を感じて、言い返していた。
キリンノ「いや、その言い分はおかしいだろ。だって◯◯◯は悪くないだろ。」
愚痴られるたびに、違和感を感じて言い返していた。
結果フラれたwww
まぁ、わかるよ。
愚痴って、それに対して言い返されたら気分を害するよねw
でも、私は、K子の言っている事に違和感を感じてしまい、スルーすることができなかった。受け入れる事ができなかった。
「大変だったねぇ」とでも言っていれば、今も続いていたかもしれない。
しかし、破局して良かったと思っている。
あんな違和感を一生感じ続けるくらいなら、その違和感と向き合って、別れた方が良かった。
本当に良かったー。
今の嫁にも、同じ事をする。
嫁「同僚の◯◯がさ・・・」
キリン「その同僚は義務は果たしているから悪くは無いと思う。」
愚痴だという事はわかっている。
でも言い返さずにはいられないのだ・・・
こんな私に(たまに文句を言いつつも)付き合ってくれている嫁には、本当に感謝している。
こんなに敏感な私がまったく不快感を感じない嫁に出会えた事は奇跡だ。
でも、それは、違和感をなぁなぁにせずに、向き合って来た結果だと思う。
まとめ
あまり、まとまりませんでしたが、とにかく言いたいことは
違和感、不快感を感じる人生って、辛いけど、鈍感にはなれないんだから、その違和感。大事にして、生かしていきたい。
って事です。
私の好きな芥川龍之介もこんな事を言っています。
処世的才能
何と言っても「憎悪する」ことは処世的才能の一つである。
芥川龍之介『侏儒の言葉』
違和感、不快感、嫌悪感。それは才能の一つだと思います。
その後
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