私はなぜか、人に嫌われる事があります。
しかし、好かれる事もあります。
そんな私が人に好かれる方法書いているなんて、変なんですが。
しかし、私は、嫌われるが故に悩みました。
どうすれば好かれるか。考えました。
そして私は
「人に好かれるためには、人に好かれようとしてはいけない。」
「好かれるためには、取り繕うよりも自分らしく生きるのが近道なんじゃないか。」
という結論に至ったので、この記事を書いています。
そもそも「人に好かれたい」って思ってる人は自己中かもしれない。
「人に好かれたい」、その一心で、人に優しくしたり、善意で行動したり、出しゃばらないようにしたとする。
しかし、その行動の目的が「自分が好かれるため」=「自分の利益のため」であればそれは自己中かもしれない。
なんか、打算的というか、善意も本物の善意じゃなくて、偽善に見えます。
「助けて上げるから私の事好きになってね?」って助けて貰っても全然嬉しくない。
「人から好かれよう」なんて考えてなさそうな人が好かれている。
世の中には二種類の人間がいる
人に好かれたいと思う人間 と
そんな考えは微塵もない人間
私は前者です。
「人に好かれたい・・・」と思うことが多いです。
人からどう見られるか、ばかり考えて、勝手に疲れています。
しかし、私の周りの人に好かれる人を観察すると
- 素直(自分の思ったことを思ったように言う)
- 自分を無理して取り繕っていない。(自分らしく生きている)
- 好かれようと思っていなそう
自分らしく生きてる人は、たとえちょっと自己中だろうと、ちょっと周りに迷惑をかけていようとも、好かれているような気がします。
好かれようとして行動すると、疲れる。
人に好かれたいと思い、人目を気にしてばかりいると、すごい疲れます。
精神の疲れが肉体まで疲れさせる気がします。
これが一番問題かもしれません。
目の前にいる人に好かれるより、ありのままの自分を好きになってくれる人を探した方が早そう
2:6:2の法則というのがあります。(パレートの法則というらしい)
① 世の中の2割の人は私の事が嫌い。
② 世の中の6割の人は私の事が好きでも嫌いでもない。
③ 世の中の2割の人は私の事が好き。
結局、何やっても、こんな感じの割合になる。ということらしい。
もし、好かれようとした、相手が①だった場合。どんなに頑張っても好かれることはない。
無駄な時間と労力を消費するだけです。
であれば、①、②の人に好かれるのは、はなから諦めて、③の人を探して友達になるように努力した方が手っ取り早いのではないか。と思ったのです。
③の人だったら取り繕う必要もない。
地球には、70億人もの人がいます。
目の前にいる、そんなにシンパシーを感じない人に無理して好かれるよりも、もとから自分と同じような感性を持っていて、無理しなくても自分の事を好いてくれる人を探したほうが良さそうです。
③の自分を好きになってくれる人と友達になる。
→取り繕う必要がなくなる
→自分らしく生きれるようになる
→自分らしく魅力的になれる。
→好かれる。
好循環!
①の自分を嫌う人に無理に好かれようとする。
→自分らしくなくなる
→魅力がなくなる
→嫌われる
悪循環!
努力しなければ、好きになってくれない人たちに無理して好かれようもがいていると、何もしてなくても好いてくれる残りの2割の人に出会う機会を失うかもしれません。
私は嫁と仲が良い
よく人に嫌われる私ですが、今の嫁とは非常に仲良くやっています。
なんで結婚できたかを思い出すと・・・
私は、昔付き合った女性とことごとく破局してきました。
喧嘩するとすぐ破局していました。
なんか、気に入らないことがあると、我慢出来ないんです。
(破局話はコチラ)
それで、破局して付き合って、破局して付き合ってを繰り返してたら、必然的に、破局しない人と結婚したw
今考えると、ことごとく破局してきた事が、今の嫁と出会えた勝因だったように思います。
もし、あのとき、元彼女の気に入らないところをなぁなぁにやり過ごして、好かれるように取り繕っていたら・・・
今もずっと取り繕って、無理をする結婚生活だったかもしれません。
結婚する人は、前述の「自分がどうなろうと好きでいてくれる2割の人」である方が良いのは間違いない。
人生の目的を考える
人生に於いて重要な事はなんなんでしょうか・・・
上司に嫌われないこと?・・・
反りが合わない知り合いと、衝突せずに上手くやっていくこと?・・・
自分の事が嫌いな、アンチを沈静化すること?・・・
なんか、違う・・・
私は、そもそも、「なんのために人に好かれたかったのか」を思い出すと、理由がよくわかりません。
理由がなかった。
ただ、なんとなく人に好かれたかった。
嫌われるよりは良いかなくらいの理由。
そんなんじゃダメだ。
そんな考えで生きていたら、なんとなく、生きて、なんとなく、死んでしまう。
人生に於いて重要なのは、なんだろう。
おそらく、人に好かれることじゃない。
私は、自分らしく、自分のやりたい事をやること。
そして、私の好きな人達と過ごす。
私を好きな人ではなくて、私が好きな人と過ごしたい。
私はそう思います。
それの為に、人に好かれる必要はなかった。
逆に無理に他人を好きになる必要はない
無理に仲良くする必要はない。
私は「人から好かれたい。」と思う裏で、「周りの人を好きにならなければ」という脅迫観念のようなものを持ってしまっていたような気がします。
なぜだろう教育によって植え付けられたのか。または、世間の圧力を感じているのだろうか。
みんな仲良くしなければいけないような気がしていた。
しかし、「周りの人を好きにならなければいけない」という思いにとらわれるのは良くない。
人を嫌いになるより、好きになりたい。それはそうなんだけど、どうも好きになれない人もいる。
そういう人を無理に好きになろうとするのをやめると良いのかもしれません。
人に好かれるように無理をするのも、人を無理に好きになろうとするのも、やはりよろしくない。そう思ったのです。
まとめ
- 人に好かれるためには、人に好かれようとしない方が良い。
- そもそも「人に好かれたい」って思ってる人は自己中。
- 好かれようとして行動すると、疲れる。
- 「人から好かれよう」なんて考えてなさそうな人が好かれている。
- 目の前にいる人に好かれるのではなく、自分を好いてくれる人を探した方が良い。好かれるために取り繕う必要もなくなり、自分らしくなり、魅力が増し、好循環。
- 気に入らない女性と破局を繰り返したら、めちゃくちゃ相性の良い女性に出会えた。
- 無理に他人を好きになる必要はない。
- 人生の目的は、人に好かれることじゃないはずだ。
嫌いな物は嫌いと言いたい。
好きな物を好きと言うために。
全部に好きって言ったら、それは好きじゃないって事にならないかい?
キリンノックスでした。
関連記事
コメント