これは、おれが幼稚園生のときの話である。
幼稚園生というのは、劇をするものだ。
劇はピーター・パンであり、おれの役は海賊③だった。
劇中で跳び箱を飛んだり、結構凝った劇だった。
おれのセリフはこうだった。
「あ、ピーターパンが、やってくるぞ」
これを双眼鏡を覗きながら言う。
それが、唯一のおれの見せ場だった。
しかし、問題があった。
練習時、望遠鏡はなかったのだ。
練習時は、私服で、小道具はなし。
幼稚園の先生は「本番は双眼鏡を借りてくるから、練習は手でやってね。」と言っていた。
そこで、おれは、何度も練習した。
手を丸にして、両目に当てる。
手の丸で覗きながら、「あ、ピーターパンがやってくるぞ」を練習し続けた。
そして、本番の日がやってくる。
おれは海賊の衣装を着て、双眼鏡を渡される。
先生は言った。
「コレを覗きながら言ってね!」
おれは首を縦に振った。
苦手だった跳び箱もなんとかキマり、問題のシーンがやってくる。
おれの緊張は頂点に達していた。
おれはいつもの丸を覗きながら叫んだ。
「あ、ピーターパンが、やってくるぞ!!」
保護者は爆笑の渦に包まれた。
望遠鏡を首に下げたまま、手で作った丸を覗いている少年が、そこにいた。
若干5歳にして、一生懸命練習した結果が爆笑の渦だったという経験を得た。
あの日から何かがおかしくなったのだと思う。
もし、あの日、双眼鏡を覗けていたら、多分別の人生があったと思う。
でも、別にこの人生も悪くないと思う。
もしあのとき、双眼鏡を覗いていたら、おれはあの劇のことなど覚えていないだろう。
そもそも、覗けているようなら、それはおれではなかった。
双眼鏡を覗けない人生。
それがおれの人生なのだと受け入れて生きる。
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