形あるものいずれはなくなる。物の終わりはいつか。

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さっき、ゴミ箱から「カサッ」っと音がした。 

見てみると500円玉が落ちていた。

この500円玉私が「カサッ」を聞かなかったらどうなっていたのだろうか。

 
 

私は普段、このゴミ箱から、ゴミ袋にゴミをガサッと移す。 

その時に私に気付かれれば晴れて救出という事になり、気づかなければゴミ袋の中に放り込まれる。

 
 

月水金のいずれかの朝、私はゴミ袋をゴミ捨て場に出す。 

この時点で、ゴミ袋の中身に注意を払う事はほぼないので、救出される可能性はなくなる。 

ゴミ回収の人が来て、ゴミ収集車に投げ込まれる

 
 

運が悪ければ、この時点でグシャッといってしまい、原型を失うだろう。 

しかし、運が良ければ、原型を保ったまま、ゴミ収集車の中に入り込む事ができるだろう。

 

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その後ゴミ処理場に持っていかれて、ゴミの山の中に放り込まれる。

もし、必要な物を間違ってゴミに出して、持っていかれた場合、この山の中から探し当てるのは不可能に近いのではないか。

 
 

つまり、ゴミ収集車に投げ込まれた時点で、私がソイツを救出する可能性は限りなくゼロになる。

ここを物の終わりとしても良いだろう。 

つまり、ゴミ箱にものを間違って落っことした場合。ゴミ収集車に入るまでに救出できなければ、THE ENDです。

意外とあっけない

形のあるモノなんて、儚いものです。

 

ここで気になるのは「私は、気づかずにゴミ箱に入って、処理されてしまった物体を認知できるのか。」という事です。

私はの部屋には死ぬほど物がある。

例えば、机の上から500円玉が消え、ゴミに混入し、そのまま処理されたとしても気が付かないだろう。

おそらく、部屋からモノの10個や20個、無くなっても気づかない

 
 

「大切な物はなくしてから気づく。」と良く言いますが

なくした事にすら気づかない私は、なんなんでしょうw 

 
 

あ、でも、嫁がいなくなったら流石に気づくわw

 
 

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