【河童】芥川龍之介の厭世観【私的考察】

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※この文章は、芥川龍之介『河童』を読んで私が思ったことを私的に考察した文章です。

 

 

私事ですが、甥っ子が生まれました。

私はおじさんになった。(28歳) 

結構前から、おっさんになってきたなぁと思っていたましたが、立場上のおじさんになってしまいましたw

 

 

余談ですが、おっさんみたいな顔をしているオジサンという魚がいるんです。余談終

 

 

人類の代謝を感じます。 

古いものから新しいものへ移り変わっていく。

その中に私や、甥っ子や、全人類がいる。

 

 

私は甥っ子誕生のニュースを聞き、嬉しさもありましたが、変人なので芥川龍之介の書いた一節を思い出していました。

 

二十四 出産

彼は襖側に佇んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤児を洗ふのを見下してゐた。赤児は石鹼の目にしみる度にいぢらしい顰め顔を繰り返した。のみならず高い声に啼きつづけた。彼は何か鼠の仔に近い赤児の匂を感じながら、しみじみかう思はずにはゐられなかつた。――「何の為にこいつも生まれて来たのだらう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。――何の為に又こいつも己のようなものを父にする運命を荷ったのだらう?」
しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だった。

芥川龍之介『或阿呆の一生』(太字は引用者) 

 

芥川さん、自分の息子が生まれた時の感想が、これ。 

すごい。

「見下してゐた」

自分の子供が生まれた光景を見下している・・・

 

 

自分の子供が生まれた時に「なんで、こんな世に生まれちゃったの?しかも、なんでおれみたいなやつのとこに生まれる運命になっちゃったの?」っと言うわけだ・・・

どれだけこの世界が嫌いだったか、そして、芥川自身がどれだけ生きるのが大変だったかが察せらます。

 

 

芥川龍之介の河童

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※画像は上高地の河童橋

 

芥川著の「河童」にこのような場面があります。

お産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」 バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素瓦斯を抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。

 

芥川龍之介『河童』(太字は引用者) 

 

バッグというのは、河童の青年の名前です。 

河童という種族は、お産の時、胎児に対して「この世に生まれたいか、生まれたくないか」を聞く。

そして「生まれたくない」と言えば、中絶のような事をしてしまう。という場面だ。

 

 

これは、私が思うに、芥川自身が、生まれる前に、生まれるかどうか選びたかったという願望の現れなのではないかと思っています。

そして、芥川自身の「生まれたいかどうか」の答えも河童と同じく「NO」なのではないか。

この文章から「生まれる前に、選べれば、こんな世界には生まれては来なかったよ。」という芥川の気持ちを感じました。

 

 

そして、生まれない事を選んだ、この河童の胎児のセリフに、芥川が厭世的であった理由の一端が感じられます。

まず、病。精神病。現実の芥川の母は精神に異常をきたしており、そのため、芥川は伯母に養育されたようです。

また、河童の胎児は「お父さんの遺伝」と言っています。

「遺伝によって、病的な精神も子に受け継がれる。」と芥川は思っていたと私は考えています。

 

 

この事は芥川龍之介の遺書からも伺えます。

汝等は皆汝等の父の如く神経質なるを免れざるべし。殊にその事実に注意せよ。

芥川龍之介『遺書』 

これは、芥川が、自身の子供に宛てた内容です。「私のように君らも神経質であることからは逃れられないので、注意しろよ。」と書いてあります。

「母は神経質であった。私も神経質だったから、遺伝によって私の子どもたちも神経質であろう。」という思考を持っていたと推察できます。

 
 

芥川の人間に対する、愛と憐れみ

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河童の話に戻ると、河童の胎児は、もう一つ、「河童的存在が悪い」と言っています。 

河童が「河童を悪いと思っています。」と言うことは、人間が「人間という存在は悪い」と思っているのと同じ事です。

 
 

芥川は人間を愛し、そして軽蔑していたのだと思います。

つまり、人間に対してはどちらの感情も持っていた。

好きであり、嫌いであった。

『侏儒の言葉』にこのように書いてあります。

 「人間らしさ」

 わたしは不幸にも「人間らしさ」に礼拝する勇気は持っていない。いや、屡「人間らしさ」に軽蔑けいべつを感ずることは事実である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事実である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない

芥川龍之介『侏儒の言葉』

 
 

私は芥川の本を読めば読むほど、この世が嫌いだ。と言っているように感じられます。

凄まじい厭世観。

 

 

芥川は、現在でいう東京大学に入るほど頭も良く、妻子に恵まれ、妻の他に愛人までいたというのに、なんで世界がこんなにも嫌いなんでしょうか。 

頭が良すぎたのでしょうか。  

 
 
 

最後に或阿呆の一生からもう一文引用させてください。 

 四十二 神々の笑ひ声

 三十五歳の彼は春の日の当つた松林の中を歩いてゐた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のやうに自殺出来ない」と云ふ言葉を思ひ出しながら。……

芥川龍之介『或阿呆の一生』

 

神の不幸は自殺できないこと。

裏を返せば、芥川は「人間の幸福は自殺できること」と考えていたという事になります

この世とおさらばしたい、芥川の気持ち・・・ 

35歳で自殺した芥川龍之介どんな気持ちだったのでしょうか・・・

 

 
 

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