昔、クラスの生徒全員と教師であるゲームをした。
よーい、スタート!
と言ってから、「いち・・・に・・・さん・・・」と数え、1分経ったと思ったら手を上げる。という時間当てゲームである。
先生も、数える方に参加した。
「よーい、スタート!」の合図とともに、みんな数え始める。
私は「いち、に、さん……」と数えて60と同時に「はいっ!」と手を上げた。
その前後で他の生徒も次々と手を上げた。
しかし、何時まで経っても、手を上げない人が1人だけいた。
先生だった。
生徒が全員手を上げているのに、先生1人だけが、まだ何かを数えているのだった。
そして、2分くらい経った時「はいっ!」と言って先生は手をあげたのだった。
生徒達は爆笑した。
私も笑った。
さすがにわざとやってるんだろうなww
僕らを笑わせるためにやってるのかぁ。面白い先生だなww
と思った。
しかし、先生本人はまるで、自分が笑われている理由がわからないような顔でキョトンとしていたのだった。
2015年秋
そんな記憶が消えかかってきたころ。
私は先生と呼ばれる立場になっていた。
2015年の秋、25歳になった私は気付いてしまった。
「時計壊れてないかこれ?」
部屋の壁に掛かっている時計の秒針の進みが早すぎる。
カチッ……カチッ……カチッ……カチッ……
くらいが正常なのに
カチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッ
くらいになっているのである。
カチッカチッカチッカチッ
「早いよなこれ……」
時計が早く動きすぎる故障なんて聞いたことないなww
と思いながらスマホの時計と見比べる。
驚いた。
壁の時計とスマホの時計の1秒はピッタリ合っていた。
おかしかったのは私の感覚の方だった。
私は愕然とした。
もう一度時計に集中してみる。
やはり、早い・・・
私が小学生のときは、もっと1秒が長かったハズだ。
「お風呂から出るときに30秒数えようね!」と言われて、あのとき数えた30秒はもっと長かったはずだ!
何度も何度も、口で「いち、に、さん」と数えてみたり、ストップウォッチを手に持って、10秒、30秒、60秒を見ないで測ったりしてみたりして、1秒の長さを確認した。
だが、結局、よくわからなくなった。
どうも、時計に集中したときは、時間の進みが早く感じる。
しかし、数えるなどの動作を介入させると、わからなくなる。
自分の動作の速さは変わっていないのに、脳の感覚だけが早く感じているようだ。
その気付きから私は時間が短くなっている事を考えずにはいられなくなった。
職場でも、車の中でも、自宅でも、どこでも
時計が目に入るたび。
時計を凝視して、「早いよな・・・やっぱり、早いよな・・・いやでも、この前よりは早くなっていないか?・・・1年後はもっと早くなっているのか?・・・」
と考えずにはいられなくなり、時計のカチカチ音のせいで、何も手につかなくなることがしばしば起こった。
軽くノイローゼだった。
ジャネーの法則
調べるとジャネーの法則に行き着いた。
体感時間というのは、主観的な感覚であり、比較対象は自分の経験しかない。
つまり
5歳にとっての1年は人生における5分の1の長さ。
20歳にとっての1年は人生における20分の1の長さである。
単純に比較すると、5分の1は20分の1の4倍であるから、5歳の子は20歳の人より4倍長く時間を感じていることになる。
私が幼少期のころ、家族で海に行くとき、車で2時間かかっていた。
幼い私にとって、その2時間は本当に長く、退屈で、辛かった。
親と何度も「いつつくの!?」「あとちょっとだよー」というやりとりを繰り返していたのを覚えている。
しかし、今28歳の感覚では「2時間なんてすぐついちゃうな」という感覚である。
小学生の感覚が今の私の4倍として、現在の感覚として考えると「海に着くまで8時間だよ。」という感覚ということになる。
そりゃ流石に退屈だよな、長いよな。
若さが強さである理由
さらに別のことも考えた。
例えば、スポーツ選手、将棋の棋士、その他いろいろな事柄に対して
若い人は強い。
なぜこんなにも、差が出るんだろうと思っていた。
肉体的に若い人が全盛期のスポーツならまだしも、将棋など、脳みそを使う競技はそんなに年齢関係ないんじゃないか?と思っていた。
しかし、この時間が短くなるというので納得できる。
現実の持ち時間は同じでも、体感時間が違うのだ。
将棋を指せば、若い人は「10分もあるのか!いろいろ考えられるな」となるのに対して、高齢の人「10分しかない!これでは1つくらいしか考えられないぞ!」となっているのではないか。
私はそんな予測をしている。
スポーツでも、もし、ボールが飛んでくるスピードが2分の1であったなら。
打ちやすいとかいうレベルの話ではない。
スムーズ時計による平穏
私は「体感時間が短くなる」という事を知って恐怖した。
人生の半分は何歳だろう。
この体感時間を考慮しなければ、40歳くらいが人生の半分かなと思っていた。
しかし、ジャネーの法則を考慮して考えると、20歳が人生の体感の半分であるらしいとも言われている。
もう私の人生は半分をとうに切っている・・・・
その事実を知って以来、私は時計のカチカチ音に対するノイローゼはひどくなってしまった。
ふと時計が目に入ると「また早くなったか?こんなに早かったか?」という考えで支配されてしまい。
仕事どころではないし、家でもゆっくり出来ない。
時計恐怖症とでも言うべきか。
そこで、私は、身の回りにあるすべての時計をカチカチいわないスムーズ時計に変えた。
私は現実から目をそらし、一時の平穏を手に入れた。
それでもやはり、1秒が短くなりつつある事に変わりはない。
まだ、私は、時計を見るたびに1秒の短さに恐怖する。
「また短くなってる気がする……」と再認識して、恐怖する。
どんどん短くなってく人生、そしてその終わり意識せずにいられない。
ふと気付いたときには、人生は終わる寸前かもしれない。
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