もう無理、限界。
ストレスがやばい。
わかります、その気持。
私も毎日、思っています。
すべてにムカついてくる
私は、
小学校の頃は不登校でもう無理
中学のころも不登校でもう無理
大学時代、彼女破局しまくってもう無理
そして今、仕事のストレスがヤバくてもう無理
金が無くてもう無理!
金の悩みは切実ですね・・・
金があれば、ほぼ全て解決しますもの。
もう無理。という時は、まわりのもの、全て、無理な気がしてきます。
誰かの期待に答えようとし過ぎている?
私が、もう無理!!!っとなるとき、心の根底には、「自分のやりたい事。」ではなく、「誰かの思惑によって、期待されている自分」がある気がする。
私の上司は仕事の効率を上げろ。と言う → 仕事の効率を上げなければいけない。
私の親は、孫の顔をみたいという。 → 早く子供を作らなければ。
嫁のために金を稼がなかれば → 仕事をしなければならない。
職場で、同僚に対して、もっとフレンドリーにしなければならないような気がする → フレンドリーにしなければ・・・
生徒が授業中退屈そうにしている。 → もっと面白い授業をしなければ。
上記の内容は私の実体験ですが、他にも
例えば、学生であれば
もっと成績を上げなければ。(上げて欲しいという誰かの期待)
いい大学へ行かなければ。(行って欲しいという誰かの期待)
良い会社に就職しなければ。(就職して欲しいという誰かの期待)
親、上司、嫁、子供、親戚、兄弟、先生、同僚
私は、そのような人達から、無言のプレッシャーを受けている。
そして、その期待に答えなければ。仕事の効率を上げなければ、面白い授業をしなければ、面白い話をしなければ、早く子供を作らなければ、まわりにフレンドリーにしなければ、勉強しなければ、正社員にならなければ、やらなければ、しなければ、頑張らなければ・・・
っと思って、いっぱいいっぱいになったとき。
もう無理、限界
となる。
私は誰かの期待に答える為に生きているのだろうか。
本当は、誰の期待に答える必要もないのでは?
というか、誰かに期待されている、と思っていた事が、私の思い込みである事もある。
私の親が「良い大学に行け」と無言の圧力をかけてきている。と思っていたが、実は全く思っていなかったというような。
上司が、「残業をしていけ」と無言の圧力をかけてきている。と思っていたが、実は全く思っていなかったというような。
思い過ごしで苦しむのはやめたい。
自分の人生は自分の人生。
自分の人生を自分のやりたいようにやらない限り、もう無理。は終わらない気がする。
仕事というモンスター
恐らく。人生に於いて、一番キツく、辛く、強大なモンスターは仕事です。
私の経験上。仕事よりキツいことはない。
それ故に、仕事がキツくて悩む人が多いと推察します。
もう無理、限界と感じる仕事は、辞める、転職、の選択肢もある。と私は思います。
もう無理、限界!!となってしまうような仕事は
自分に合ってない。
または単純に激務。
である場合が多いのではないかと思うのです。
続けていても、ほとんどの場合。事態は好転しません。
好転した人を見たことも無いし、あるわけ無いと思う。
1,2年。気合で耐えたとしても、その後の人生に何が待っているんでしょう。
今見える未来が暗い雲に包まれている場合は、その後も地獄は続きます。
であれば、1,2年、耐える意味がない。
恐らく、人生は、仕事がうまくいかなければ、楽しくない。キツく、辛い。
1,2年、耐えて稼ぐ日銭よりも、人生をなんとかしなければならないのではないか?
では具体的には、どうするか。
「もう無理、限界だ!」と思っているならば、うつ病の可能性が高い。
うつ病の病休制度を利用するという選択肢もある。
私の知り合いには、うつ病休職しつつ、「もう絶対職場には復帰しない。」と腹を決めて転職活動している人もいる。
うつ病なら、我慢せずに、使える病休制度などは使うべきだと思う。
私自身は、非正規と自営業なので、うつ病診断されたら、職を失って終わりですが・・・
本当に、綱渡り。正社員にはない、綱渡りのストレス。
落ちたら、一段下の地面に落ちる。という気持ちと、
落ちたら崖下。という気持ちは、雲泥の差。
非正規雇用のサガである。
死を思う
自殺ということではありません。
メメント・モリ。人はいつか、必ず死にます。
私は、それを思う時、心が穏やかになります。
いつか、死ぬ。
今、感じる、幸せ、不幸、満足、不満足、苦しみ、楽しみ
すべて消えてなくなります。
すべては過ぎ去り、思い出せない過去になる。
そして、私の意識も消え去る。
この人生で何があろうと、それは、1回限り。
良いも悪いも、一回限りしか、経験しないんです。
「人はいつか、必ず、死ぬ」
その事実は、私にとっての希望であり、安らぎ。
コメント