今週のお題「わたしの自由研究」
私は一応、科学を教える事を生業にしている。
これは私が思ったことだ。
本題に入る前に盲点の話をしよう。
盲点
よく比喩的に「盲点だった」とか言うが、人間の目には実際に見えていない部分が存在する。
目の視神経があるところには、光受容体がないので、見えない箇所が存在するのだ。
盲点はこのような図形で確認できる。
少し離れた2点
左目を閉じての右目で♡を見る。
図形と目の距離を調節するとあるところで✕印が見えなくなる。
これにより、見えていない箇所 = 盲点を確認することができる。
しかし、日頃、私達は盲点の存在を意識していない。
目で見ている画面上に、無の領域が存在しているという感覚はない。
これは、フィリングインという脳の作用により、盲点の箇所の映像が推定され、補完されているからである。
このフィリングインも非常に面白い話であるので、是非調べてみて欲しい。
参考文献
http://www.hues.kyushu-u.ac.jp/education/student/pdf/2002/2HE01044G.pdf
私の仮説
私は、車に乗っていた。
ふと、隣の車のタイヤに目をやった。
タイヤは高速回転し、ホイールはブレてはっきりと視認することはできない。
しかし、私がまばたきをした瞬間。
車のホイールがはっきりと見えたのだ。
最初はなぜ見えたのかわからなかったが、もう一度瞬きした瞬間、再びくっきりとホイールが見えた。
私は目をパチパチさせた。
ホイールが何度もくっきりと見えた。
私は考えた。
目を開けて高速回転するホイールを見ているとき、車のホイールはブレて、よく見えない。
しかし、瞬きした瞬間はくっきりと見える。
まるで、動画から静止画に変わるように。
脳はまばたき中の世界をまばたきする直前の静止画によって補完しているのではないか?
瞬き中というのは、一瞬ではあるが、世界がブラックアウトしているはずである。
しかし、日常生活の中で、私達は世界のブラックアウトを意識しない。
それは、目を閉じる寸前の景色を、脳が記憶し、ブラックアウトの時間的盲点を埋めているからなのではないかと私は推察したのだ。
人間が見ている景色は、もちろん動画だが、瞬きの刹那だけ、瞬き寸前の画面が静止画として、まばたき中は認識されているのではないか。
画像の一部が見えない、盲点の部分を、脳みそが推測によって補うなら
瞬き中の時間的盲点を脳みそが推測によって補っていても不思議ではない。
余談
私は、更にこの仮説からハトを想起した。
ハトは歩くとき、一瞬一瞬首を静止しながら歩く。
それは、首を一時的に止める事によって、世界の静止画を得るためらしい。
車のホイールの件で言えば、動画は静止画の連続であるはずなのに、動画を見ている私達は、静止画を見ることはできない。
くっきりしたホイールの連続画像を見ているはずなのに、動いているホイールを鮮明に見ることはできないのだ。
ハトは、首を動かすという、労力を消費し、静止画を得ている。
労力を消費して静止画を得るからには、静止画が動画情報よりも、有益な物を含んでいるという推測をすることができる。
脳が処理する情報としては、動画は静止画の上位互換ではない可能性が示唆される。
余談の余談
私は目の付け所が独特過ぎて、高校時代友達から「天才」と呼ばれていました。
今となっては「変態」または「馬鹿」と呼ばれている。
「ド変態」を目指してがんばっています。
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