将来の事が考えられない。
考える気もない。
将来の仕事だのなんだの、そんなのロックンロールじゃない。
わかりますよ。
私がそうでした。
この記事は過去の私に向けて書いている気持ちで書いています。
私は中学校のときは不登校で将来どころではなかった。(グレてたわけではなく、おとなしいタイプの不登校です)
高校生のときは不登校ではなかったけど、オタク仲間とゲームしまくってたので将来どころではなかった。
そして、「勉強がそれなりにできる」という理由と、実家から近いという安易な理由で、地方の教職課程がある大学に進学しました。
特に先生になりたいと思っていたわけではなくて、勉強が好きだからなという軽い気持ちでした。
大学生のときは、バンドに明け暮れていたため将来どころではなかった。
大学を卒業する前、とりあえず、まわりがみんな受けるから、私も教員採用試験を受けた。
そんな甘い動機で受かるわけもなく、しっかりと落ちた。
そして、大学を卒業して私はニートになった。
彼女(現在の妻)の家に住んでいました。
完全なるヒモ。
そして、その後、教員採用試験に落選した人向けに、非正規教員を募集する電話がかかってきた。
なんとなく働きたくなかった(ニートが楽しかった)ので、最初は渋ったが、結局働くことになった。
あの電話がなかったら、どうなっていたかわからない。
今私が学校で働いているのは、ありえないくらい受動的な理由なのだ。
自分でも信じがたいくらい受動的な人生。
現在、30歳。
学校や塾、家庭教師として授業をして日銭を稼いでいるが、正社員ではない。
詳しくはこちら。

学生時代の自分に言うとすればこうだ。
お前は金を稼がなければいけないんだぞ。
ということだ。
大学時代の思考は
「将来を考えようとする」→「働きたくないでござる」→「思考終了」
だった。
なんという甘ちゃんだったのか。
そんなんだから、大学卒業して、新卒ニートになってしまったのだ。
何が甘いって・・・
金を稼がなければいけないんだよ。
これだけが疑いようもない事実である。
親が最高に金持ちとか、宝くじにあたったとか、自宅の庭から石油が出たとかで無い限りは例外なく金を稼がなければならない。
別に金を稼ぐためには就職するという選択肢だけではないのだが、とにかく、学生時代の私には「将来は絶対何かをして金を稼がなければならない。」という意識が欠落していた。
金なしで生きていくのはほぼ不可能である。
ニートの投資家とかがいるが、その人は実は投資家という仕事であると思う。
ブロガーは働いてない?
いや、ブログを書くのが仕事である。
ユーチューバーは働いてない?
いや、動画をupするのが仕事である。
働かないで生きていく人はほぼいないのである。
まずこれを自覚すべきだった。
「将来を考えようとする」→「働きたくないでござる」→「働かないで生きていきてぇ!」→「思考終了」
ではダメだったのだ。
「将来を考えようとする」→「働きたくないでござる」→「働きたくないが、金を稼がなければいけない」→「せめて、自分の好きな事で金を稼ぎたい」→「では今何が出来るか」
という思考が必要だった。
ああ
とにかく、昔の自分に伝えたい。
お前は働く。
働く(金を稼ぐ)事を回避することはできない。
問題は自分がやりたいこと、好きな仕事、興味のある仕事をするために、今行動を起こさなければならないということだ。
例えば、どんな職業があるか調べてみるとか
インターンに行ってみるとか
またはYoutuberとかになりたければ今すぐなれば良い。
金を稼ぐのは大学を卒業して社会人になってからなどという決まりはないのだから、自分の好きな事ですでにチャレンジできる可能性があるのならば、すぐにチャレンジしてしまえば良いのだ。
「将来(現在も)自分が必ず働くということ」から目を背けて、学生というぬるま湯の中で、自分の将来の仕事と向き合わなかった者は、働くときが来てはじめて苦しむことになる。(私の事だ)
私は大学を卒業し、半年間ニートを経て、その後、非正規だったが(今もそうだが)学校の教壇に立った。
恥ずかしながら、そのときはじめて愕然としたのだ。
はじめての授業で号令をかけた時、初めて気づいた。
「私も働く」のだと。
「自分は働かない」と思っていた。
働きたくなかったからだ。
だが、生きるためにお金は必要だ。
最初の授業が始まったとき、初めて自分も働くのだという事を実感したのである。
それまで「仕事」という概念に向き合って来なかった私は、働きはじめてから自分の仕事に向き合う事になった。
こんな人が他にもいるだろうか。
正直、私にはわからない。
私の周りはなんだかんだみんな職について、一生懸命働いている。
私のようになってはいけない。
働き始めてから、仕事を考えるのでは遅い。
それでは職業選択など出来ないではないか。
実際、私は「教員免許を持っていたから」という安易な理由で教壇に立ってしまった。
学生のうちに自分が働くのだという事を真剣に考え、何で働くかという事を決めなければいけない。
それは職業によっては高校在学中に決めなければいけないかもしれない。
大学を決めるために職業選択が先立つ場合もあるし、それに、大学に入ってから職業探せば良いと私は思っていたが、高校時代にやりたい事を真剣に探せないようでは、大学に入ってからも見つからない。
これは自分らしく生きていくために必要な事であったのに、私はそれを放棄していた。
っと、もし仮に、今の私が昔の私に言ったとしても、自分は聞かないだろう・・・
昔の私がこの文を読んで、すんなり「じゃぁおれは何して働きたいんだろう」なんて思うだろうか。
思わないだろうなw
大学4年の(就職が決まっていない)私が読んでも、「まぁ大丈夫大丈夫・・・」とか言っている気がする。
何が大丈夫なんだか全くわからないw
甘々ちゃんだったな。
とにかく、新卒ニートになってしまった昔の自分に言うとすれば・・・
学生は自分が将来、絶対「何かをしてお金を稼ぐ」という事実を忘れないようにした方が良いということだ。
働きたくないって気持ちは死ぬほどわかるけど、向き合わなければ「自分が選んだ仕事ではない仕事」に流れていってしまって、そして、働く瞬間になって気づく。
もっと真剣に、何をして稼ぐかを考えるべきだったと。
そして、ここまで「就職」と「金を稼ぐ」を意識して書いてきたが、現在、「金を稼ぐ=就職」ではない時代が来ている。
もしも、死ぬほど働くのが嫌であれば、なんとかして金を得る方法を考えるべきだ。
それこそが「将来を考える」ということにつながるのではないかと思う。
余談ですが、最初に授業をしたとき、自分が喋らなければ授業が進まない事に愕然としました。
大学生までは、人生は受動的です。
能動的人生を送っている方もいらっしゃいますが、私は違いました。
大学生までは、何もしなくても、つつがなく、時間は流れていきます。
働く立場になったとき、自分で、内容を準備し、自分で進め方を考え、喋らなければ何一つ進まない。
当たり前の事ですが、私はその立場になってはじめて気づいたのです。
授業がはじまり、最初に口を開くのは教師。
もし、授業がはじまっても先生が何も言わなければ授業は始まらないという当たり前の事に衝撃を受けたのを思い出します。
今思えば、あのときの私はまだ、誰か別の人が授業を進めてくれると思っていたのです。
とんだ甘ったれですね。
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